ヒップホップが今のように音楽のメインストリームになるまでには様々な歴史エピソードがあった。
この記事では、ヒップホップカルチャー入門として、ヒップホップの誕生に携わり世の中に大きく広めた、知っておきたい3人の最重要人物を紹介。

DJクール・ハーク[DJ Kool Herc]
クール・ハークは妹の誕生日祝いを兼ねたブロックパーティを企画。
このブロックパーティが開かれた1973年8月11日がヒップホップの始まりとされている。
ヒップホップの始まりであるこのクール・ハークのブロックパーティ。ここで初めて2台のターンテーブルを使い、曲中でダンサー達が一番盛り上がる間奏部分を繋ぎ「ブレイクビーツ」生み出した。これがヒップホップの基礎であるDJスタイルの原型となっている。
クール・ハークの生み出した「ブレイクビーツ」のおかげで、数多くのヒップホップの名曲が誕生。
また、ブレイクビーツに合わせて踊るダンサーを「Bボーイ」や「Bガール」と呼び始めたのもクール・ハークと言われている。
グランドマスター・フラッシュ[Grandmaster Flash]
グランドマスター・フラッシュはクールハークからDJを教わった。
ヒップホップDJの有名なテクニックのひとつである「スクラッチ」を使い始め世の中に広めた。
スクラッチはターンテーブル上でレコードを擦るテクニックだが、これはグランドマスター・フラッシュの親戚であるグランドウィザード・セオドアが回転するレコードを指で止めたのがきっかけとされている。
グランドマスター・フラッシュは他にも斬新なアイディアでDJテクニックを生み出しヒップホップの発展に貢献した。
アフリカ・バンバータ[Afrika Bambaataa]
アフリカ・バンバータはもともとブロンクス最大の勢力であった「ブラック・スペイズ」のボスであった。
ブロンクスでは貧困やドラッグが影響しギャングの抗争が絶えず、多くの若者が命を落とした。
アフリカ・バンバータは彼らに暴力やドラッグがいかに無意味であることを訴え始めた。
ギャング達の暴力やドラッグへの怒りを音楽へ向けさせた。
ヒップホップの4大要素を提案し、ヒップホップという言葉を広めた。
アフロ・アメリカン達の新しいカルチャーを定義し、このカルチャーをヒップホップと名付けたのがアフリカ・バンバータだ。
彼自身もクール・ハークのDJスタイルを学び、ヒップホップシーンで活躍した。
エレクトロ・ファンクの先駆けとしてもアフリカ・バンバータは有名だった。
当時、爆発的人気であったジェームス・ブラウン[James Brown]と共同で「UNITY」をリリースし、ヒップホップを知名度を大きくに向上させた。

まとめ、多くの人物がヒップホップに貢献
ヒップホップカルチャーの歴史を語る上で欠かせない3人の最重要人物を紹介した。
DJクール・ハーク[DJ Kool Herc]
グランドマスター・フラッシュ[Grandmaster Flash]
アフリカ・バンバータ[Afrika Bambaataa]
この3人の誰か一人でも欠けていたらヒップホップはサウスブロンクスの小さなブロックパーティで終わっていたかもしれない。
ヒップホップカルチャーの躍進は、誕生に携わった3人の最重要人物なしでは果たせなかっただろう。
まだまだ多くの人物がヒップホップカルチャーに貢献。
ヒップホップは本当に奥が深い。